特定療養費からルール作りの難しさを思う
診療報酬の改定から,次のようなルールが決まりました。
大病院の外来で,医師がかかりつけ医への紹介を勧めたものの,それを拒否した場合には特定療養費を徴収する
たとえば,患者の同意のもとで他院への紹介状を作成したものの,そこを受診せずに戻ってきた場合とか,軽症なのでかかりつけ医を勧めているにも関わらず患者側が拒否している場合が相当するようです。
※ 上記に関しては,これ以上のことは私も分かりませんので,本ルールに関する質問はご遠慮願います
こういうのを観ていて,ルール作りの難しさをしみじみと感じます。
一部の人々を何とかするために,全員にルールを定めなければならないなら,その「全員」の中には,「今まで無関係だったのに,新しいルールのせいで損をする」人も必ずいます。全世界の人が納得するルールなんてきっとないはずです。「生物学的に46,XYの染色体を有する人間は男性である」というルールですらもはや正しくなくなっているわけで。
一方,「ルールを減らす」ことは政治的には「自由化」と言われます。これも,常に反対意見が出てきます。集団的自衛権はルールを増やしていると言うよりは,ルールを減らしているように思えるのです。
最近,別の病院の先生と話す機会がありました。
「外科から,手術前のすべての患者のHIVを検査して欲しいと強く言われた」
どこの病院も,感染管理の観点からB, C型肝炎は手術前に調べます。でも,HIVまで調べるかどうかは病院によって異なります。
というのも,HIVを調べるのは患者からはコストを取れず,すべて病院が自腹を切るからです。田舎の病院はどこも赤字かギリギリ黒字ですが,これをすべての患者に行えば,年間数百万円はかかるわけです。しかも,「HIV検査は不要である」という論理はありませんので,外科からの申し出に対して,「○○だから必要ない」とスマートに却下することは出来ないのです。簡単なのは,病院長が「経営的に無理」と一言で済ますのが簡単でしょう。
ルールというのは,新しく設定する場合には,必ず誰かに利益があり,誰かに損失があります。多くの場合,損失する側は,カネや時間の問題だと大いに立腹し,手間の問題だと難色を示すものです。
ただ,みんなが真っ当に生きていれば,多くのルールは必要ないと思います。
最近,地域のニュースで,地方裁判所の職員が月に数回,勤務終了の数分前に帰宅したことが問題となっており,裁判所所長が「大いに遺憾」と言ってました。
過ごしにくい世の中になってきたものです。
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コメント
ルール作りと聞いて、子育て中の私はまず先にPTAの役員決めを思い出しました。会長をやった経験があれば以後免除とか、5年空けば免除にならないとか、兄弟が居れば下の子で役員になってしまえば重い役をやらなくて楽とか、自治会によってルールが違うとかなんとか、、、。
面倒くさいったらないです。やれる人がやりましょうよって気楽に役を受けたら受けたで、文句や苦情が出る、よって新たなルール作りが必要に。
小さな世界でもそんなんだから、仕事、政治の政治の世界では尚更なんでしょうね。
校則に縛られた学生時代を窮屈に感じていましたが、イエイエ、大人になるともっと窮屈ですよね
って思いました。
投稿: ゆみち | 2016年3月29日 (火曜日) 15時41分
ゆみちさん
極論しますが,世間一般の人々は被害者になるのが上手になったのです。権利意識が高じた結果と言えるかもしれません。責任を負うのが嫌だから,責任ある立場を回避するために全力を尽くし駄々をこねます。報道も常に悪者をつくってますよね。
窮屈な世の中ではありますが,せめてルールによって損をしない健全な精神と健康な身体を持っていたいものです。
投稿: おくちん | 2016年3月29日 (火曜日) 17時17分